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【レポート】『社会事業家100人インタビュー』 特定非営利活動法人 大杉谷自然学校 校長 大西かおり氏

2013.11.12

「先輩社会事業家のビジネスモデルを学ぶ」

第20回社会事業家100人インタビュー

失われかけている地域の資源を、地域の強みに変える

―地域の自然と人々との交流で営む自然学校―

 

ゲスト:大西かおり様
(特)大杉谷自然学校 校長

 
<プロフィール>
昭和47年(1972年)三重県大台町生まれ。大杉谷自然学校校長。
大台町で生まれ育ち、平成13年4月大杉谷自然学校設立。
過疎高齢化の地域教育力を生かした環境教育を展開。
地域の文化伝統の消失、衰退について、また林業不景気による森林荒廃について環境教育
プログラムを通じて社会に問題提起を続けている。
<今回のインタビューのポイント>(インタビュアー IIHOE川北)

1980年代にはじまった先駆的な試み以来、全国各地に広がりつつある自然学校にとって最も大切なのは、施設や立地や自然環境でも、プログラムでもなく、それを運営するスタッフと地域の人々との関係の豊かさに他ならない。自然に学び、自然を守る心とスキルを育てる自然学校は、その自然とともにくらす人々との連携や協働、そして信頼や日常のくらしの共有によってこそ成り立っていることを、大西さんの経験と姿勢から学んでほしい。

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これをしなければ生きていけない、ことがカギ

大杉谷自然学校を設立した、自分自身にとっての動機は、「実家に帰ってきて暮らすためにできることは何か」という問いでした。

私は大台町生まれで、大学卒業直後に青年海外協力隊としてフィリピンに行きました。「社会に貢献する仕事をしていきたい」という想いはずっと持っていたのですが、協力隊から帰ってきて、これからどこで暮らしていくかを考えた時、大台町しかないと思いました。家があるので家賃がかからない、暮らしていく上でお金があんまり必要じゃないということも、どう暮らすかを考える上でとても重要でした。「自然が好き、子どもが好き」だからではなく、「自分がどのように大台町で暮らして食べていけるか」を考えた結果、「これからは環境教育だ!自然学校がいいのではないか」と考えたのです。地域活性化等の事業に取り組む人がどう食いつないでいったらいいのか、どうやったら事業を続けていけるキーマンを育てられるのか、という質問を受けることがありますが、私は「それをしなければ生きていけない人を投入すること」が一番いいと思います。

大杉谷地区は、高齢化率は約70%(2013年1月時点)。私の住んでいる地域では先日、10年に一度の地域全体での水道管の大掃除を行いましたが、私以外の住人はほとんど70歳代。「(10年後の)次はないかもね」という話が、本当にリアルなんです。今何かしないと、本当にこの地域は消えてしまう。実際になくなってしまった集落がいくつもあります。そんな状況の地域で、今から13年前に、小学校廃校の代替案として、「大杉谷自然学校」の企画を町に提案しました。人口減で学校の統廃合が進む中、町の方針ともリンクして、大台町の環境教育を大杉谷自然学校で実施することになりました。町役場との関係は当初から深くありましたが、町立ではなくNPOとして、建物は廃校を間借りする形で、2001年(平成13年)に大杉谷自然学校を設立しました。

ライバルはゲーム

大杉谷自然学校は、環境教育、調査研究、地域支援の3つの事業を行っていますが、特に大事にしているのは、体験が少ない人への教育の場をつくること、地域の知恵を伝えること、そして昔の日本人のすごさを感じてもらうことです。

現代の子どもたちの中には、火をみたことのない子が増えています。川遊びも魚釣りもしたことのない子がいます。圧倒的に体験が少ないのです。大杉谷地域は、一部を吉野熊野国立公園に、全体を奥伊勢宮川峡県立自然公園に含まれる自然豊かな地域であり、一級河川である宮川の源流部に位置します。この清流・宮川をフィールドにした子どもの自然体験プログラム「わくわく宮川体験キャンプ」を毎年開催して、子どもたちがキャンプをしながら川遊びや魚釣り、ナイトハイク、ご飯作りなどをする機会をつくっています。

そうした体験の中での子どもたちの学びは、それぞれの関心や個性によってさまざまで、学びの広さ・深さは、到底、私達が把握したり、計ったりできるものではありません。子どもたちの学びは本当に多様で、明確な目標や評価に落とせるものではないのです。そういった一人ひとりの学びの多様性を大切にしていくことが、リピーターの子どもたちを増やし、最終的には自然学校の収入にも結び付くポイントであると思います。

2005年から2012年までの8年間、年平均で130件・約4100人に活動を提供しています。2012年の総収入3476万円のうち、78%が事業収入で、最近は国の事業も実施するようになり、約28%が国・県等行政、23%が大台町、他に大杉谷地区の区長や住民と共に設立した移住促進協議会関連や主催事業による収入です。

私たちのライバルは、他の自然学校や体験教室などではなく、ゲームや塾、おもちゃなど、親がお金を払う先全てです。少子化によって、参加者となる子どもは取り合いの状態で、厳しい状況の中で、子どもたちの体験の機会をいかにつくり、守っていくかが重要です。その意味では、私たちが働きかけるべきなのは、子どもたちよりも、むしろ親たちなのかもしれません。子どもたちの体験の大切さを理解し、大杉谷地域のような地域の中での暮らしを親たち自身が体験することが必要でしょう。そのため、大杉谷自然学校では親子で参加できる体験プログラムも企画しています。

昔の人のすごさを伝える

大杉谷地域の高齢化率は約70%だと言いましたが、私はある意味で、とても幸せな数字だと思っています。地域の高齢者から、たくさんのことを学べるからです。地域の暮らしの中には、たくさんの知恵やアイデアが詰まっています。例えば鮎の伝統漁法「しゃくり」。鮎を針で引っかけて捕る方法ですが、これは鮎の生態を熟知していなければ生まれなかった漁法です。また、山に入って自然の恵みを採り、薪を割って火をたき、かまどでご飯をたく、という行為。今ではそうした場も減ってきていますが、特に東日本大震災後に若い人たちの間でも、昔の暮らしを大切にしようという動きが増えてきました。そうした人たちのモデルになるのが、地域でしっかり暮らしている人たちで、地域のおじいちゃん、おばあちゃんの知恵や技を伝えていくことは本当に大切なことです。

当校でも、「大杉谷孫さんクラブ」として、田舎のおじいちゃんおばあちゃんのところに遊びにいく気分で、地域の人から伝統漁法や炭焼き、山の幸を使った料理や木工細工まで、様々な知恵を教わるプログラムをつくっています。地域の自然と共存しながら、食べ物だけでなくエネルギーも自給して暮らしていた日本人。雪の中でも乾布摩擦を欠かさないような、昔の勤勉な“ネイティブジャパニーズ”から、私達は今こそ学ぶべきだと思うのです。


何かしなければ地域ごと消えてしまう

大杉谷自然学校が入っている、廃校になった小学校は、集落のはずれにあります。最初からはずれにあったわけではなく、間にあった集落が次々となくなり、小学校が集落のはずれになったのです。昭和30年(1955年)には2986人だった大杉谷地区の人口は、2013年1月現在275人。非常に過疎化が進んでいます。大杉谷自然学校を設立してから4年目頃まで、運動会を開催していましたが、地域住民全体を対象にした運動会なのに、高齢者しかいませんでした。それを見て、「これはいけない。この地域はやがて消えてしまう」と思いました。

それまでは自分の組織のこと、食べていくことで精いっぱいだったのですが、この頃から、「今何かしなければ、地域が消えてしまう」という危機感を強く持つようになりました。当初は自然に親しむ機会の少ない子どもたちに体験をしてもらうことを目的につくった自然学校ですが、地域がなくなれば、自然学校ももちません。そこから、地域の高齢者から学ぶプログラムをつくるようになりました。結果として根源的・本来的な自然学校の意味の発見につながったと思っています。

人は「地域が滅びる」、しかもそれが自分の住んでいる地域で起こる、なんて露ほども思わないですよね。でも、高齢化が進みすぎてからでは遅いのです。大杉谷地域ほど高齢化が進むと、いろいろな機能を維持することが難しくなって、ついに葬式を地域で出すこともできなくなりました。集落機能の低下は、地域で助け合うことを難しくし、家族や親戚が少ない中では地域に住み続けることはできません。こうした状況になる前に、地域は手を打たなければなりません。気づくのは早いほうがいい。

他方で、行きすぎた高齢化社会だからこそ見える将来像もあります。大杉谷地域は、人口減少数が大きいため、少なからず流入人口が必要です。今から15年くらい前までは、地域に人が入ってきても、受け入れない風潮がありました。でも、今はもう限界であることが分かっています。よって、移住政策が必要であるという意見が多くなりました。自然学校の事業と、地域の課題解決のための事業を掛け合わせることもできます。そうやって新しいコミュニティづくりができる土壌はできてきたのではないかと思います。

私は、必ずしも、お金を稼げる人が地域を継ぐ人なのではないと思います。その地域の中の価値観はお金では計れないからです。地域活性化のポイントは「それをしなければ生きていけない人を投入すること」と表現しましたが、移住が成功するかどうかのポイントも、「たとえ仕事がなくても、この地域に住みたい」という強い想いがあるかどうかではないでしょうか。

その人が本来的に求めているリターンが何なのか、大切にしている価値観が何なのか、地域の暮らしの中でそれを満たすことができれば、例え経済的に豊かでないとしても、その地域で充実した人生を送ることができます。日本の地域社会に残された循環型社会のヒントを伝えていくことは、大杉谷自然学校の使命でもあります。私達は地域のおじいちゃんおばあちゃんたちから、地域で生き続けるための知恵や工夫、そしてその価値観や生き方を、今こそ学ぶべきだと、改めて強く思います。

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