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【レポート】『社会事業家100人インタビュー』特定非営利活動法人きょうとNPOセンター 常務理事 深尾昌峰氏

2013.05.29

「先輩社会事業家のビジネスモデルを学ぶ」

12『社会事業家100人インタビュー』

 

 

ゲスト:深尾昌峰さん

特定非営利活動法人きょうとNPOセンター 常務理事
公益財団法人京都地域創造基金 理事長
株式会社PLUS SOCIAL 代表取締役

 

プロフィール

京都府生まれ。熊本県立熊本北高等学校を経て滋賀大学卒業。

大学在学中からボランティア活動に参加。

大学院在学中にきょうとNPOセンターの構想づくりに参画し、1998年に特定非営利活動法人きょうとNPOセンターを立ち上げ事務局長に就任。以来、京都を中心とする市民活動基盤整備に奔走する。

2001年には日本で初めての特定非営利活動法人放送局京都コミュニティ放送を設立。

2003年から2007年までは京都市市民活動総合センターのセンター長も兼務。

2009年公益財団法人京都地域創造基金を設立し理事長に就任。

2009年12月にきょうとNPOセンター事務局長を退任。

2010年4月に龍谷大学法学部准教授に着任。2011年4月から同政策学部准教授。

専門は非営利組織論。

 

<今回のインタビューのポイント>(インタビュアー IIHOE川北)

 

市民活動や市民運動が、社会や地域の課題解決や理想実現のために行われる以上、その支援者も、社会や地域の課題や理想への取り組みを、効果的に支えられるよう、役割や技能の進化を求められる。

支援者の役割と機能を拡充するために、「次へ」「もっと役立つために何をすべきか」という姿勢を形にし続けるために、リーダーはどんな努力と工夫をしたかを、学んでいただきたい。

 

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信用は「借りる」しかない

 

私は1998年にきょうとNPOセンター立上げに参画し、以来、京都コミュニティ放送の設立や京都地域創造基金の立ち上げに関わってきました。今も新しい社会貢献型企業の設立など、いろんなことをしていますが、今の自分の立ち位置を回りから見られると、「それは深尾くんだからできるんだよ」とよく言われます。正直、めちゃくちゃ腹が立ちます。

私は高校卒業するまで熊本で育ち、大学入学を機に京都に移り住んだ時には、京都には誰一人友人はいませんでした。京都は信用や信頼を非常に重視する社会。地元で長く住み、商いを営む人々の信用に、僕なんかは到底太刀打ちできない。そういう中でもがきながら見つけたのは、「信用は借りるしかない」ということでした。

 きょうとNPOセンターの立ち上げの当時、地域のさまざまな人と一緒に構想を練りながら、大学院生だから無償で働けるということで、私が事務局長をやることになりました。京都に何の基盤もない自分がどうやって、ある程度は京都を代表できるような「きょうとNPOセンター」を築いていくか。地域の人や物、資金などの資源の取り合いをせずに、強くしなやかな組織をどうつくるか。信用を重視する京都の地域社会で信頼を得るには、「信用を借りる」しかない。そこで京都の老舗と言われる企業や家元などの伝統ある方々に、徹底的に協力をお願いしに回りました。家元の家の前まで行き、警備の人にどうアポイントメントをとったらいいのかを尋ねたこともあります。そうやってお願いに回りながら、少しずつ応援やご縁をいただき、その細い糸を手繰り寄せながら、本当に少しずつ、きょうとNPOセンターの形をつくっていきました。

 
 

寄付でなく「出資」で経営に参画してもらう

 

「NPOでは信用を得られない」「資金援助をもらえない」と嘆く人たちもたくさんいますが、ちゃんと頼んでいないだけなんじゃないか、きちんとお願いをしていないんじゃないか、と思うことがしばしばあります。「寄付はしないけど、出資ならする」という人も、地域にはたくさんいます。私がそれを実感したのは、コミュニティラジオ局を開設する時でした。

当時、ラジオ局を開設するためには初期投資として約3000万円の資金が必要でした。ラジオ放送をやりたい人は自分たちの回りにたくさんいましたが、お金を持っている人はいなかった。そこで、ラジオ局の広告代理店としての株式会社をつくって、地域の方々に出資をお願いしました。そうすると、応援の仕方として「寄付ではなく出資ならする」という人がかなりいたのです。「京都三条ラジオカフェ」という名のコミュニティラジオなので、三条という地域に根差している企業や住民の方々が、多く理事や出資者になってくれました。

当然、出資にはリスクがあります。経営状態が悪くなれば出資金は戻りません。自分の大事なお金を出資された方々ですから、みなさん非常に厳しい目で経営状態をチェックされます。「ちゃんと活動をしているか」を確認される寄付者の目とは違い、「ちゃんと経営をやっているのか」という地元の経営者からの厳しい目です。それまで味わったことのない緊張感がありました。結果として合計約3000万円を出資で集め、今でも2000万円程度は残っています。「出資金を返して欲しい」と言わない出資者が半数以上おられるのです。その方々からは今も常にボジティブなチェックを受けています。

その出資金で設備を買い、放送をするわけですが、出資金の返済をどう行うかが、また難しい問題でした。「京都三条ラジオカフェ」はラジオ局の広告代理店業としての株式会社を持ちながら、特定非営利活動法人京都コミュニティ放送が放送を行うという、株式会社とNPOが一体となったしくみです。NPOである京都コミュニティ放送が放送の免許を持つ、当時日本初のNPO放送局でした。設立時には株式会社で出資金を集め、そのお金で設備を買ってNPOが会社の設備を借りる形で放送をします。NPO側の現金収入はほぼありません。そこで、その設備費として、5年間無償で会社側に「時間」をプレゼントする、無償で放送枠を提供する、という方法をとりました。放送事業は免許を取ってしまえば、時間が資源であり、商品です。放送局であるNPOから企業に時間を無償提供し、その代わりにNPO側に企業の設備財産を移管していったのです。企業側はその放送枠を売って利益を出し、出資金を返済していきました。いわば、放送局のNPOが持つ財である“時間”とバーターしながら出資金の返済を行ったのです。これがなかなかうまくいきました。

このラジオ局をつくる経験の中で一番よかったのは、「どんなにいいことをしても、継続できなければ意味がない」という経営の基本を地元の経営者たちからガチンコで叩き込んでもらえたこと。出資者や理事の多くが三条という地域で商売をする経営者たちですから、毎回の理事会では真剣な経営の議論になります。どんなにいいプランでも事業として成立しないとゴーサインはでません。彼らとしては当たり前のことなんですね。でもNPOの側からしたら、儲からなくても社会的意義があることはやらなければならない!という使命感がありますから衝突も起きます。理事の企業経営者にとっても、市民的な感覚で町のための事業を組み立てるには、会社のためだけの経営視点ではだめなんだという勉強になった、と後になって言ってもらうことができました。NPO側にとっては経営感覚を磨き、企業側にとっては市民感覚を学ぶ、両者にとっての相乗効果がありました。

 

今あるものにプラスソーシャルアライアンスを組むことでスケールをつくる

 

もう一つ、私が事業をつくる中で気を付けたのは、スケール(規模)をつくること。自分たちの組織を大きくしたいわけではなく、社会を変えるための資源を集めるためには、ある程度のスケールを見せることが必要だと考えました。2009年に京都地域創造基金という財団を作りましたが、資金力もない僕らだけでは地域の課題を解決することはできません。社会の力をどう借りるか。おこがましく言えば、社会の力をいかに引き出すか。いまあるものに「プラスソーシャル」して、様々なアライアンスを組むことで社会を変えていけるのではないか、という発想です。

例えば「居酒屋」プラスソーシャル。京都地域創造基金で「カンパイ・チャリティ」というキャンペーンを実施して、キャンペーン期間内に参加店舗が提供する「カンパイ・チャリティメニュー」を注文すると、販売額の一部が寄付になるしくみをつくりました。お店やそのスタッフ、お客さんに身近に寄付に参加してもらうことを大切にして、寄付先もお店ごとに選んでもらい、各店舗に使途の報告もしています。“京都のまちで循環する支援のしくみ”にこだわり、京都で活動する団体を、京都に根差したお店が応援する、という枠組みです。

このキャンペーンのお願いのために様々なお店に営業に回っていますが、すごいのは、いまだ1件も断わられていないこと。実際にお願いに行くと、「自分の店でこんなことができるのか」と喜んでくれるオーナーさんがいます。そのうちのお一人は全店舗のスタッフを集めて研修までしてくれました。寄付先を選ぶのにも、スタッフと議論して決めてくれて、接客をするスタッフがお客さんに寄付先の団体の活動を紹介できるまでになる。立派なファンドレイザーです。その説明を聞いたお客さんのほとんどがそのメニューを注文、「俺は社会のために飲むんだ!」なんて言い訳にまでなるわけです。そういうことが、居酒屋の力を借りればできるんです。一杯の寄付の額は50円程度と少ないですし、あえて全国規模の大手のチェーンではなく、地元で商売をしているお店にだけお願いをしていますから、正直、合計してもそんなに大きな額にはなりません。でも続けていくこと、そしてこうしたキャンペーンを通じて地元のお店を応援する人が増えることが大切だと思っています。地域のお金が地域で循環するしくみをつくること、そういうしかけを作ることで変えていけることはたくさんあるんです。

 

地域の資源を地域で循環させるしくみをつくる

 

そういう発想でいると、資源が東京に集約されていく現状のしくみに憤りを感じることが多々あります。先日記者発表をした株式会社PLUS SOCIAL、という会社の設立も、その「怒り」がきっかけでした。

(株)PLUS SOCIALは定款で株主への配当を禁じた非営利型の株式会社です。株式会社として一定の収益をあげ、「金銭的な収益」をより積極的に「社会的な利益」に還元していけるような、新たなスキームづくりへのチャレンジです。この会社で、メガソーラーの建設に着手しました。そのきっかけは前述の「怒り」からです。今、メガソーラーの建設が相次いでいますが、そのほとんどが、地域に循環するお金の流れになっていない。地方自治体が広大な土地を貸しても、運営を東京の企業に任せてしまえば、資源が東京に集約されてしまいます。なんとか地域で循環するしくみにできないか、そのモデルが日本にはなかったので、じゃあつくってしまおう、と会社を設立することにしました。

ここでも最初の難関は、初期投資でした。第一号の案件で手掛けているメガソーラーは約2000キロワットの規模で年間1億円くらいの収入になるのですが、初期投資として7億円必要だったのです。普通は7億円なんて集まりません。でも、既存のスキームに「プラスソーシャル」して考えれば、それが実現できたんですね。ただその過程でちょっとしたつなぎ資金が必要になり、3000万円のキャッシュがこの年末に急遽必要になりました。その資金があれば次のステージにいける、というところまできていました。そこでfacebookでつぶやいてみたんです。そうしたら15時間位で応援してくれる人が集まって、3000万円が集まりました。感動しました。「言ってみる」、「やってみる」、「頼んでみる」ことは本当に大切なんです。そしてその「お願い」は自分にとってのプレッシャーにもなりますから、その責任を果たしていかなければなりません。

 

こうやって、今あるものにプラスソーシャルすることで実現できることは本当にたくさんあります。出資者にプラスソーシャルすれば社会的責任投資になり、社会事業を生み出せます。ある程度大きなお金を市民コミュニティ財団が扱うことで、次の大きな夢のための種銭(たねせん)となり、収益を次の出資、地域のための投資的な資金として回していくことができます。やれることの幅がぐんと広がります。

もっといろいろなことにプラスソーシャルすることで、社会にある力を引き出していくことはまだまだできるはずです。僕らが人を育てていくこと、そして支えるためのインフラを本格的に作っていく、つないでいくことで、社会をよりよい方向にもっていくことができる。その可能性を今、すごく感じています。

 

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