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【レポート】『社会事業家100人インタビュー』うらほろスタイル推進地域協議会 会長 近江正隆氏

2012.12.06

「先輩社会事業家のビジネスモデルを学ぶ」

7『社会事業家100人インタビュー』

 


ゲスト:近江正隆さん 

うらほろスタイル推進地域協議会 会長
(特)食の絆を育む会
 理事長

(株)ノースプロダクション
 代表取締役

 

【プロフィール】

1970年東京目黒生まれ。
都立戸山高校卒、海員学校を経て、1989年北海道十勝に単身移住。
酪農業を経験後、21歳で漁業に従事。
1999年より、自作の加工場で水産加工を開業、インターネットで販路を開拓する。
2006年地域活性を目的としたNPO法人日本のうらほろを設立し、理事長に就任。
2008年5月に漁師及び水産加工業、ネット販売業を辞め、企画会社(株)ノースプロダクションを設立。
現在、うらほろスタイル推進地域協議会会長、浦幌町総合振興計画審議会委員、北海道地域づくりアドバイザーなどを務める。


自分を拾ってくれた町への恩返しがしたい

19歳の時、漁師になりたくて北海道を訪ね、「雇ってもらえませんか」とお願いしながら太平洋側の漁港を、釧路から小樽まで歩きました。その時に唯一、許してくれたのが浦幌町厚内漁港の老漁師でした。正確に言えば、所持金も底をついていたので、もうその方にお願いするしかないと、すがりついたようなものです。

その後、漁師をしながら、自ら「食べ手」へ商品を届けようと加工業に乗り出し、ネット販売を開始。「漁師の本ししゃも」と名付けた商品が、楽天の年間ランキングの魚部門で1位を獲得するほどになりました。それなりに手応えを感じていた時、船の転覆事故に遭いましたが、仲間に助けられて九死に一生を得ます。当時は自分だけが儲かっていて、周りの漁師たちは面白く思っていないはずなのに、その人たちに自分は助けられた。その時、自分を拾ってくれたこの町に対して、自分はまだ何もできていない、と思ったのです。なんとか恩返しがしたくて、それまでやっていた加工業も漁師も全て辞め、自分に何ができるかを考えるようになりました。

浦幌町には自然に育まれた資源がたくさんあり、生産物の本当の価値や心豊かな生活を感じられるすばらしい環境がある。でも町の人の多くは、その価値に気付いていない。そこで、自分が浦幌町から学んだことを表現し、地域が元気になるためのきっかけを作ることはできないかと考えました。


子どもを軸にすれば地域はまとまる

他の多くの農山漁村と同じように、浦幌町にも、生産者の高齢化や、若い世代の町外への流出など、地域の人材がその土地に根付かないという問題があります。同じ浦幌町内でも、市街地に住む子どもたちは、農林漁業に触れないで育つことが多い。加えて、浦幌町内には高校がないため、中学校を卒業すると他の地域に通うことになります。

そこで、学校の先生へのアンケートを実施して出された意見をもとに、地域への愛着を育む事業を学校中心で展開することにしました。

農林漁業者訪問や販売体験、浦幌の名所を巡るバスツアーなど、地域や関係団体が協力して学校が主体的にカリキュラムをつくり、学校の授業の中で町の魅力を発見していきます。そのプロジェクトを進めるために、浦幌町と浦幌町教育委員会、民間ボランティア団体「日本のうらほろ」で「うらほろスタイル推進地域協議会」を発足させました。

このプロジェクトを通じて町の魅力に気づいた子どもたちには、「まちを元気にしたい」という地域貢献への意識が芽生えます。「まちが元気になるには、どんなことが考えられる?」と子どもたちに問いかけ、子どもたちから町に、様々なアイデアを出してもらいます。その発表の場には町長も出席し、子どもたちの想いのつまった考えを、大人たちの手で実現していくのです。

こうしてこれまでに実現したものの中には、浦幌町の新キャラクター、「うらは」と「ほろま」や、浦幌町最大の祭り「みのり祭り」での子どもの遊び場づくりなどがあります。

子どもたちの地域への愛着を育み、子どもたちが考えた企画等を実現することを通じて、大人たちも地域の魅力に気づき、協力し合って新たな取り組みが生まれていくのです。

さらにこれからは、地域に貢献したい、地域で働きたいと思ってくれる卒業生たちに対して、町の中での魅力ある就職の場づくりが必要です。どんな産業が浦幌に適しているのか、そこで雇用を生むためには何をすべきか、子どもたちの地域貢献への意識を育んできた大人たちの責任として、町全体で雇用の場づくりにこれから取り組んでいかなければなりません。

 

農家が主体になって「食の絆」を伝える

日本の食糧自給率は約40%。東京は1%、大阪は2%ですが、浦幌町は2900%です。都会の人には、食糧を農山漁村に委ねているという理解をもっとしてほしい。農山漁村が活性化しなければ、都市もたちゆかなくなる。そのことを、実体験を通じて理解してもらいたくて、都会の子どもたちに対して、主に修学旅行の受け入れを通じて農林漁家での生活体験をする、農村ホームステイを実施しています。岐阜県とほぼ同じ面積の広さを持つ十勝管内16市町村で構成する「食の絆を育む会」には、地域ごとの農林漁家で地域組織が構成され、現在では計400戸の農林漁家がホームステイに協力し、毎年約2000人を受け入れています。

 収穫を手伝い、共に夕食を準備し、朝の農作業を手伝う。特別なことは何もしません。でもそれぞれの農家さん自身が、都会の子どもたちに伝えたいことを持っている。実体験を通じてその想いが伝わり、つながりを感じられることで、農村と都市がつながり、都市の子どもたちにも、食を守り続けることの意味を理解してもらいたいのです。

さらに、来てもらって体験するだけでなく、学校に戻ってからも、産地から材料を送り、家庭科の授業で調理実習をするなど、送り出した学校の先生方と共に事後学習を促しています。食べ物の大切さを伝える、その入り口として体験がある。そういう食育のしくみを十勝でつくっていこうと、農家さんたちの組織である「食の絆を育む会」と、十勝の町村役場職員とともに動いています。

 軸にあるべきは自分ではなく、地域

 こうした取り組みができたのは、地域の先生たちや農林漁家さん自身に、「子どもたちに伝えたいこと」があるから。私はそれを引き出し、背中を押すだけ。外から移り住んだ自分だからこそ気付ける、できる役割がそこにはあります。外からは見えない役割で、正直、これまでは持ち出しも多かった。でもようやく実績があがり、農家さんたちからも理解され、「手数料を取れ」と言ってもらえるようになりました。

軸にあるべきは自分じゃない、地域なんです。自分を軸にした瞬間、その人の事業になってしまう。関わってくれるみんながその取組みを自分事として感じてもらえるように演出する。それが、自分を拾ってくれた浦幌町、そして十勝への恩返しであり、社会の中で生きる自分に与えられた役割なんだと思っています。

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